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▲101系ニッセイ若葉号以来と思われる総武本線東千葉以東への黄色い国電入線 往年の101系ローカル電車を髣髴とさせる
1999.12.20 物井-佐倉 撮影・提供 遠藤真矢氏 | |
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▲成田線区間ではそれこそ当時の101系以来の黄色国電??上の東千葉以東総武本線とともに成田線千葉口へは103系初入線
1999.12.20 酒々井-成田 撮影・提供 遠藤真矢氏 | |
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▲青空の下、これから向かう仙石線の単線区間をも思わせる成田線(我孫子線)を行く
1999.12.20 木下-小林 撮影・提供 遠藤真矢氏 | |
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▲方向転換のための大回りで武蔵野線も走行 オレンジ8連の定期電車の中を黄色の4連が走った
1999.12.20 東浦和-東川口 撮影・提供 遠藤真矢氏 | |
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▲直流区間ではあるが宇都宮から先は機関車牽引 黒磯までは控車のクモヤ441を挟んでEF65PFが牽引
1999.12.21 片岡-矢板 撮影・提供 遠藤真矢氏 | |
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▲黒磯で機関車交換 ED75に牽かれ交流区間を行く
1999.12.21 久田野-泉崎 撮影・提供 遠藤真矢氏 |
総武中央緩行線103系投入当初から活躍しており、試作冷房車という特異車で人気も高かったTc178・179を含む301編成が1999年12月中旬に営業運転を終了、処遇が注目されたが、この両先頭車とモハ1ユニット(M705+M’861)の4連が、仙石線仙台付近地下化による新線乗務員訓練のために宮城野区へ貸出されることになった。
仙石線内での編成向きを考慮して成田線経由で我孫子に抜け、常磐・武蔵野線を通って東北線に入る大回りで運転されたが、回送日程は1999年12月20日夜に、まず緩行線経由で幕張へ行き幕張区入庫、翌21日に幕張区出庫の総武快速線・総武線・成田線で成田、成田線(我孫子線)・常磐快速線で北小金、連絡線で武蔵野線に入り、さらに連絡線で大宮に抜けている。
東北線は宇都宮までは自走、宇都宮−黒磯間はクモヤ441を介してEF65PFの牽引、黒磯−仙台間はED75の牽引となった。
仙台で一泊し、12月22日、東北線・石巻線経由でDE10牽引により石巻まで回送、ここから再び自力回送で宮城野電車区まで回送された。
3日にわたる仙台への回送であったが、再び習志野区へは戻らない片道の回送であり、宮城野区を基地とするものの基本的には地下新線区間に封じ込められて乗務員訓練に使用された後、2000年3月には石巻まで自走、そこからDE10〜ED75牽引で郡山工場に回送、4月中旬までには解体されてしまった。
同車にとって、少しでも生き長らえたのが良かったのか、都落ちの異郷の地で廃車となったのは不憫だったのか・・・