東中野事故応援編成:習志野区編


▲総武中央緩行初登場のクモハ103、Mc69を先頭に御茶ノ水を行く借入車編成ラシ337 パンタが判りづらく失敗
1989.1 御茶ノ水−秋葉原


▲クモハの初登場と同時に、この編成は同線103系初の中間に先頭車を挟んだ編成であった 登場時は高運と低運が向かい合わせ
1989.1 御茶ノ水−秋葉原


▲またまた判りづらくて失敗 先頭車はMcだがパンタがよく見えず 6+4は判別可能!? 6連のTcは774に変更後
1989.4 市ヶ谷-飯田橋


▲総武中央緩行線を営業運転で走った唯一のMc車、中原区から借入のMc69 総武線に来ていることがわかりづらく失敗
1989.3 習志野電車区


▲ATC高運Tc車(373・774)が向かい合って中間に入ったラシ337編成 6+4編成は営業運転ではこの時のみ
1989.3 習志野電車区


▲ATS-S付きTc576は、ATS-P取付入場したラシMzc143の代役で活躍 マリMpgc143と組んで入場牽引の他、ラシ区試運転にも使用
1989.2.23 習志野電車区

三鷹区201系の代替応援編成が初期車掻き集めの非冷房編成だったのに対して、習志野区の応援編成は全車冷房車で編成されたものだった。しかし、こちらも非常に大きな特徴のある編成となった。総武中央緩行線の103系としては初めての6+4の分割編成、それも千葉方の先頭はこれも初登場のクモハとなったことである。

車番は以下の表の通りで、中原区・豊田区からの借入車。三鷹区応援編成が全車正式転属となったのとは対照的。

当時、蒲田区へ横浜線用として205系を投入している最中であり、これによる捻出車(103系7連)のT車1輌を脱車した6連での中原区への転属(101系置換え用)や、豊田区へ老朽103系置換えための転属が行われていた。この蒲田区からの捻出車、あるいは蒲田区→中原区転属車により中原区から玉突で捻出された車を活用して習志野区が借入、10連1本を組成して337番編成とした。

豊田区の借入車は、蒲田区から豊田区に転属する車をオレンジではなく黄色に塗替え、実際には豊田区へ立寄ること無く直接習志野区に回送されている。豊田区所属というのは言わば戸籍上の話。

上記の通り、クモハ入り6+4という特徴ある編成となったが、車番は下表の通り。

途中で中間Tcの入替えがあったが、これは別途借入した蒲田区→中原区転属車6連(Tc717・M641+M’797・M445+M’601・Tc774)のTc774を組込みATS−S付のTc576を捻出、ATS−P取付けで入場してしまったクモヤ143の3・7の代わりに、幕張区から借入のクモユニ143と組んで習志野区の入出場回送に使用するためで、中間はATC車同士の向かい合わせとなった。

なお、前ページの通り、三鷹区に205系2本が投入され、09C運用を三鷹区車で担当することになり応援編成の337編成はバラされ、まずTc774は元の6連で7月17日に大井工場へ回送、Tc576を組込んで元に戻したMc69以下6連は8月9日に大井工場に回送されている(それぞれ大井工出場スジで中原区へ返却)。

また、豊田区からの借入車は12月まで引続き使用することとなっていたが、10月に習志野区内で脱線事故が発生、Tc819が転覆、廃車となってしまった。この車の代替としてTc373が12月以降も残留、結局習志野区に正式な転属となった。

2度も事故車の代替となったこの車も数奇な運命といえるのではないだろうか。

 

 

クモハ103

モハ102

サハ103

モハ103

モハ102

クハ103

クハ103

モハ103

モハ102

クハ103

ラシ337

69

177

142

149

280

576

373

46

46

374

借入元

中原区 (ナハ 6:101系置換え用カマ77転入により捻出)

豊田区(元カマ32:トタを経ずラシへ)

1989年1月28日の19C運用719Cより営業入り




6連側中間封じ込めTcを576から774に組成替え


 

クモハ103

モハ102

サハ103

モハ103

モハ102

クハ103

クハ103

モハ103

モハ102

クハ103

ラシ337

69

177

142

149

280

774

373

46

46

374

1989年2月6日よりTc576を別途中原区より借入のTc774に変更 


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